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概要

下妻市勢要覧2014

SHIMOTSUMA STORY ?時代の証言者たち【旧石器~縄文時代】B.C.26,000頃村岡の洪積台地に人々が暮らし始める(西原遺跡)B.C.2,000頃高道祖の桜塚に縄文集落が営まれる(桜塚古墳群北側)【弥生~古墳時代】200頃別府の台地に弥生集落が営まれる(諏訪前遺跡)300頃畿内にヤマト政権が成立、日本各地のムラが大きくなり国がつくられる下栗に古墳時代の大集落が営まれる(野方台遺跡)400頃村岡に柴崎1号墳が造られる(柴崎古墳群)【飛鳥時代】645大化の改新が起こり、中央集権国家が形成される(後半)市域は常陸国、下総国となり、国の下には郡(評)が、しもつまごう郡の下には郷(里)が置かれる(新治郡下真郷、岡田郡たむけごうおおがたごう手向郷、大方郷など)市内最古の石器【奈良時代】710平城京遷都とばのえとばのおうみ『常陸国風土記』に「騰波江」、『万葉集』に「鳥羽淡海」が登場する768市域北西部の毛野川(鬼怒川)の河川改修が行われる(『続日本紀』)【平安時代】794平安京遷都しもつま『和名抄』に「下真」の地名が登場する(文献での初見)935本拠を鎌輪(鎌庭)に置いた平将門が反乱を起こし、市域も戦乱に巻き込まれる瑞花雙鳥八稜鏡(後期)土地の荘園化が進み、市域には「下津真庄(下妻庄)」「松岡庄(のちに「豊田庄」)」が成立する。1174下津真庄を相承した下妻広幹が勢力を振るう(『吉記』)【鎌倉時代】1192源頼朝が征夷大将軍となる1193下妻広幹が八田知家に殺害され、常陸平氏流下妻氏が途絶える1214下妻長政(小山長政)が下妻の地頭職を与えられる【室町~安土桃山時代】1338足利尊氏が征夷大将軍となる大宝八幡宮本殿1343常陸国南朝方の拠点、大宝城が陥落し、下妻政泰が討ち死にする1461頃多賀谷氏が下妻城を築城1600関ヶ原の戦い1602佐竹氏の移封に伴い、多賀谷氏が秋田へ移る【江戸時代】1603徳川家康が征夷大将軍となる1606家康の子・頼房を10万石で下妻に封じる1712井上正長が1万石で下妻に就封1867大政奉還宗任神社領朱印状戦乱の時代を経てきた文化が花開き中世、近世原始、古代水の恩恵を受けて常陸下妻城図平将門公鎌輪之宿址碑す。新を迎えることになりまめ発た達井。上氏18世紀初頭より治の元で明治維と江戸とを結ぶ舟運が紀府中の頃直ま轄で地にとはさ周れ辺、地域17世江戸時代には北に備える要地として徳川幕伴い秋田に移るまでその支配が続きました。下妻城(多賀谷城)を築城。佐竹氏の移封に賀谷氏が戦国大名としてその勢力を拡大し、ぐり、北朝方との戦いの舞台に。その後は多南北朝時代には、南朝方の拠点大宝城をめとが、妻恵信尼の手紙に記されています。である親鸞が下妻の幸井郷(坂井)にいたこれます。また、この時代には、浄土真宗の祖八田知家が殺害。以降小山氏によって治められました。鎌倉時代になると領主下妻広幹をが勢力を誇り、市域も平将門の乱に巻き込まに初めて現れます。この頃常陸では平氏一族「しもつま」の地名は、平安中期の『和わみょ名抄』うしょう両国の国境に位置していました。とを示しています。この地域は、常陸・下総遺跡は、水の恩恵を受けて文化が発達したこす。多くが川や湖沼に臨む台地縁辺部にある年前の石器にまでさかのぼることができま下妻での人々の暮らしの痕跡は、2万8千様々な支配者をいただいてきた歴史の流れに巻き込まれながら19●SHIMOTSUMA CITY